霜降り明星

初めて見たのはM-1の敗者復活、アンパンマンのネタだった。

何か気にかかったが、何が気にかかったのかよく分からないまま、何度か録画を見直した。

しばらくして、内村光良の番組に当時ハマっていたAマッソが出るので見てみると、ツッコミの粗品がパジャマを着て出ていた。
最年少でオールザッツ優勝していると。
初めて見たピンネタは、新しかった。

テンポ。

フリップをめくると同時にツッコむ。
ツッコミの時間しかフリップを見せない。
こーやって考えると、今まで無かった形。
YouTubeで検索してすぐにほかのネタをみた。

改めて漫才をみた。

要はフリップが相方せいやになったパターンかと。
根本はピンネタとかわらないと。


それからも何となくテレビやYouTubeで、追うって程では無いけど見てはいた。


そのうちに、ラジオをやっている事を知り、初回から遡って聞いてみた。


粗品のコンビではない。

せいやのコンビでもない。

2人のコンビだ。


二人とも実力が備わりすぎている。
チームに1人いればいい奴が2人揃ってしまっている。
バランスを取るためにせいやポンコツを演じている分、実はせいやの方が実力者かも知れない。
もちろん天然な部分はあるのだけれど。

2人のコンビネーションは恐ろしく、2人にかかればどこからでも得点を決める。
それだけどちらも決定力がある。


1つ挙げるなら、若さ。
本気ではないと思うが、「ボケでやってるのに、本気でやってると受け取られ、叩かれる」話にトゲを感じる。
自虐にしきれない尖りを感じる。

この角が取れれば文句なく売れるだろうと、偉そうなことを思っていると、あれよあれよ。


R-1で粗品は決勝進出のせいやは敗者復活。
このせいやのネタがすごい。
やろうと思ってできることじゃない。ものすごい努力または天が与えたもうた才能。

オールザッツの映像を観ると、粗品のツッコミが入るとまた面白い。
聴かすな!は秀逸。


個々の才能を見せつけ、M-1の優勝。

さらにR-1優勝。

あまりに対抗馬がいない。
ダントツ。


だがこれがこわい。


モノマネまで優勝。

春から始まったオールナイトニッポンを聴くと、引き続き尖っている。


完全にスターへの道を歩んでいるが、少し早すぎる。
あと2年は苦戦してもらいたかった。



正直、霜降り明星を越えるコンビは中々現れないだろう。
中心となるべきコンビだ。


なんとかつぶれる前に角が取れることを願う。

金属バット

なぜM-1に出るんだろうか。


増谷キートン
なぜR-1に出るんだろうか。
詳しく知らないが、本気の運営批判だったのだろうか。

やっていることは完全にインディーズなのに。

インディーズの自覚がないのか、ほんとに売れると思っているのか。

いや、金属バットは売れる可能性ありそうだけど、
あの芸風と言うかキャラで、賞レースを取ろうとしてるって、個人的には少し冷める。



例えばハードコアバンドが、紅白を目指すだろうか。

もちろん好きな人にしたら、ハードコアバンドが紅白やMステに出る日が来たら面白いと思うかも知れないけど。
そーなると離れていく人だって少なくないと思う。

でも彼らは吉本だ。
吉本に入っているって事はやっぱりメジャー思考で、売れる気があるって事か。
ハードコアバンドがavexにデモは送らないだろうから。




食っていくということ。



大人になって、サッカーやってますって言うと、
フットサルですか?とか、月に何回くらい?とか聞かれると思う。

バンドやってますって言うと、
有名になる前にサインっもらっとこうかな?と言われる。
フットサルや草野球感覚だとは思ってもらえない。

きっとお笑いもそうだろう。

趣味でお笑いをやる事が浸透していないから。
草お笑いって言葉がないからだ。
最近はフリーの芸人も多いようだが、やはりお笑いをやるには事務所に所属することで、趣味でお笑いをするのは難しいのだろう。


食っていくということは、求められている物を提供する事だ。相手が満足する物を作る事で、自分が満足する物を作る事ではない。
中には幸運にも、自分の満足する物と相手の満足する物が一致する人はいるが。

もちろんこだわることは大切で、自分にしか無い、自分にしか出来ない物を探す事は素晴らしい。
でも人と全く同じことをして食っていくのも素晴らしい。

食っていくということはそれだけ大変なことだ。


金属バットは、そこを諦めてはいないのか。
食えなくても自分達の満足する物を作る方の人達ではないのか。リットン調査団側の芸人ではないのか。


売れそうではある。
売れそうではあるが、売れようとはして欲しくない。

個人的で勝手な意見ではあるが、M-1にさえ出なければ、すごく好きなコンビである。

洋楽から年寄り臭い話

洋楽はそんなに好きではない。


本当に限られたバンドしか聴かない。
高校を卒業した頃に発売されたRANCIDの6枚目以降、新譜はおそらく買っていないと思う。


そんなに好きではないし、そんなに掘ってもいないので詳しくもないが、
それでも今年2019年は来日がかなり多く目につく。

何かあるんだろうか。
今まで特に気にしていなかっただけで毎年これくらい来ているのか。


The Dickiesやら、VitaminXやら、DESCENDENTSRANCID、さらにはBLACK FLAG初来日ですって。
SAM41って久しぶりに聞いたね!
FISH BONEってまだやってるんだ!
napalm deathとか、OFFSPRINGとか、もうみんな同時に来て1日で全部観れたらいいのに。


そのなかでも一番「お!」と思ったのが

buck-o-nine来日。

今までも来日していたんでしょうが、全くアンテナを張っていなかった。
でも好きなんです!好きなんですよ!

高校生だった頃に友人に借りて以来、中古で当時発売されていたCDは全て中古で買い揃えた。

skaで1番にback-o-nineを挙げる奴はいない。
Less than jake、Real big fish、Mad caddies、Voodoo glow skulls等々、まぁ好きですけど、僕にはback-o-nineが1番で。
もちろんoperation ivyは別格ですけど。

それが来日なんて、珍しくライブに行こうかと検討中です。


久しぶりに火がついて、back-o-nineを検索してみたんですけど、ちょっと驚きました。

Twitterとか見てると、対バンの名前とかおすすめで表示される名前とか、軒並み知ってるんですよ。

決して詳しくない、全然追ってもいない僕が、軒並み知ってるんですよ。




fat wreck cordsのオムニバス
SHORT MUSIC FOR SHORT PEOPLE
高校時代に出会い、友達の間で話題になった。
30秒の曲縛り、101バンドのオムニバス。
通常CDプレーヤーは曲数が2桁までしか表示されないので、100曲目も101曲目も99曲目から聴かないと聞けないやつ。
ハイスタのasian prideが入ってるやつ。
でもspreadの、曲名絶対go for itだろ!って曲もすげーかっこいいやつ。
みんなこのオムニバスのために30秒の曲作っているのに、circle jerksは元から曲が短くてアルバムの曲そのまま入れてるやつ。
他にも色々あるんだろうけど、全然全曲きちんと聴く気しないやつ。

このオムニバスとか、punk-o-ramaとか、その辺で見た名前ばっかりなんですよ。


調べるとSHORT MUSIC FOR SHORT PEOPLE発売が1999年だそうなので、そこから20年。
あの頃のバンドのほとんどが今も現役バリバリで活動しているって事なんですよ。

彼らがアメリカでどれくらいの知名度で、フルタイムのバンドマンなのかパートタイムのバンドマンなのか知りませんけど。

メンバーチェンジやら休止期間やら解散やら再結成やらあったかも知れませんけど、
みんな20年続けている。


単純に凄い。


時代?
バンドやる人ってどんどん減ってるなんて言われてて。
やっぱり多感な時期に良いバンドがたくさんいたんだなと。


そう考えたら日本だってそうなんですけどね。

最近は再結成も多くて、90年代パンクバンドが今でも観られる。
日本に関しては良く分かるが、そのほとんどがパートタイムのバンドだ。
ハイスタとブラフマンくらい?
ヒダカトオルとか、TAGAMIXとか、個人的に音楽で食えてそうな人もいるけど。
KEMURIも食えてそうかな?

ほんとに一握り。

みんな未だに熱狂的なファンがいて、生活に多少の負荷を掛けてまでも続けている。

それがどれだけ素晴らしいことか。

僕のように1度離れても、「まだ続けていたのか!」と当時の気持ちを甦らせてくれる。

僕らがどこで何をしていようと、そこにまだ居てくれているということの素晴らしさ。


ここに音楽に興味を持つ事、バンドを続けることの醍醐味を見たように思う。

星野源 ドラえもん

正直言って、まだ認めたくない。
できれば星野源が好きだなんて、隠していたい。


FRUITYのメンバーが、どうも新しいバンドをやっているらしい。
YOUR SONG IS GOODを知り、カクバリズムからSCHOOL JACKETSやNUTS & MILKやBOY'S NOWと、また世界が広がって。出会ったのがSAKEROCKだった。
もともと管楽器の音が結構好きで、SKAに飽きた頃に出会って一発ではまってしまった。
DVDまで集めたのは初めてだった。あの頃は小遣いに余裕があった。

そのDVDを見て、実は少し嫌いになった。
「独特なセンスを持っています」的な企画が鼻についた。
ただのライブ映像や、リハーサルや楽屋風景だけではない、きちんと作品として考えて作られていて、他のアーティストのDVDよりは圧倒的に価値のある仕上がりにはなっている。
ただ、鼻につく。
「独特ですよ」「分かる人だけ笑ってくれればいいんですよ」感。分からない人はダサいとされてしまいそうな雰囲気。
ありきたりではつまらないが、突き詰めすぎてもつまらない。そのバランスが良くなかったかと思う。

その中の1シーン。
ライブ前の空き時間に、星野源が観客もメンバーも誰もいないステージで「老夫婦」を弾き語りしている。
後に星野源のアルバムに収録されるが、当時はSAKEROCKの曲として、インストでリリースされているので、その映像で初めて弾き語りスタイルを聴いた。

聴いたことのないテーマの歌詞。
新しい発明に出会ったの瞬間だった。

弾き語りに興味はない。
音楽はうるさくて速いほど好きだったが、この弾き語りには何かを感じた。

DVDのそのシーンで星野源
実は老夫婦は、弾き語りスタイルが先にあったこと。
弾き語りの状態を、あまり人に聴かせたくなかったこと。
撮られていると分かっていたら歌っていなかったこと
等を語った。

端的に

うるせ。

と思った。

じゃ歌うなよ。わざわざステージで。
撮られてると気付いた時点でカットすることも出来たのに、DVDにいれちゃってるじゃねぇか、と。


SAKEROCKの曲はほんとに良くて、ほんとに好きで。
でも星野源の事は好きになれないと思った。

後々、星野源の1stに老夫婦は収録されると聞いて、アルバムを買ってはみたが、やはり弾き語りは受け入れられず、すぐに売ってしまった。

数年して、SAKEROCKは解散した。

星野源はぐいぐい活躍し、追っていなくても耳に入るようになってきた。
映画「地獄でなぜ悪い」の主題歌や、テレビから聞こえてきた「恋」。曲の端々から、SAKEROCK感がバシバシ漂っていた。
ここにいたんだと。
もう聴けないと思っていたSAKEROCKは今、バンドスタイルになった星野源のところにいるんだと。
嬉しかった反面、本当に複雑だった。

今さら星野源が好きなんて言えない。
今さらCDなんて買えない。


YOUTUBEでこそこそ星野源を聴くが、ちゃんとしている。途中でプロモーション映像が入り、フルで聴けないようになっている。
当たり前だわ。
観念して中古を探すが、高い。下手したら定価より高い。

もやもやと、悶々と。夜な夜なYOUTUBEで聴く毎日。

そこにアップされたのが「ドラえもん」だ。


まさに秀逸。



まず、ドラえもんの為に作られている。
ドラえもん以外で使う気がない。

名曲とされている、秦なんとかさんのドラえもんの歌。
サビしか聴いたことないけど、いいんでしょう。たくさんの方が、あの曲で感動されたんでしょう。
でもね、ドラえもん感が一切ない。ずーっと愛されようとしてるんですよ。現に最近ドラえもん全く関係ない所で使われているのを聴く。
いや、それでいいんです。それが当たり前。
みんな折角曲を作るんだから、できるだけ普遍的に、1曲1曲の寿命は長くしてあげたいのが親心。

しかし星野源ドラえもん
ドラえもんの為だけの曲なんですよ。
この先何かに使われることもないし、下手したらライブでだってほぼやらないでしょう。

使い捨てなんですよ。
でも使い捨てにしては力が入りすぎている。込められ過ぎているとこにすっかり熱くなってしまった。


Aメロから

少しだけ不思議な普段のお話
指先と机の間 2次元
落ちこぼれた君も 出来すぎあの子も
同じ雲の下で 暮らした次元
そこに4次元

藤子不二雄のテーマ「SF=少し不思議」をまず1行目に。
指先にはペンが握られ、机の上には原稿、そこに3次元の世界が描かれて、4次元ポケットから物語が産まれる。
机に向かう藤子不二雄の姿に始まり、1次元であるペン先、2次元である原稿、3次元の日常から4次元ポケットの中身まで、Aメロだけで表現される世界の壮大。

もう才能がエグい。


有名な「あったまテッカッテェーカ」のメロディを、ちゃんとラララで歌ったら感動的な歌に聞こえる遊び。

そして「君を作るよ」の一文。
ドラえもんにまた会うために、のび太が猛勉強してドラえもんの開発者になる、あの有名な都市伝説的な最終回にまで触れる遊び。

使い捨ての曲に、こんだけ色々詰め込んでるんですよ。
あー、鼻につく。

曲はほんとに良くて、星野源はほんとに鼻につく。

認められない。
どうしても新品で買いたくない。
このモヤモヤをいつまで抱えなければいけないのだろうか。

まんじゅう大帝国

書きかけて放置していたMUGWUMPSを急いで書き上げて、今書いておきたい事が出来た。


たまたまテレビで見た漫才、まんじゅう大帝国だ。


脱力系
みたいなものが流行りつつあるのだろうか。


特徴あるツッコミが注目されるようになってどれくらい経つのだろう。
くりぃむしちゅーからなのか。
さまぁ~ずからなのか。

勝手な予測だが、ドリフや欽ちゃんや、日本のお笑い創成期はボケの時代だったのだろう。言葉や擬音と、身振り手振りや表情の組み合わせでバシバシ笑いが取れた。
漫才ブームへと時代が進むにつれてボケは細分化され、複雑になるに連れてツッコミを必要とするボケが普及してきた。更に細分化されたボケは、それだけで個性を出すのが困難になり、ツッコミによって差別化を計る時代が来たという流れだと思う。

そのお笑いの変化は社会にも影響しているかもしれない。
今や街はツッコミに溢れて、他人の隙を探してはなんとかツッコミ側に回ろうとする。ちょっとした失言や失態を探し出して、吊し上げて総出でツッコむ。吊し上げられた人はほとんど再起不能。「大人」として適切に対処するか、「ボケ」として受けきった一部の人だけが復帰できる。

飽き飽きしているし、疲れている。
ミスに怯えながら、人のミスを待っている毎日に。


そこでふと湧いた脱力系のお笑い。

過去にもよゐこアンガールズなど、脱力系は一定数存在はしていたが、次の担い手がいなかったように思う。

そこへ出てきた四千頭身

新たに脚光を浴びそうな脱力系が出てきたと思った。
最近は若くてもスキルやロジックをしっかり持っている芸人が多いなか、他とはやはり歴然の差。オリジナリティを感じる。「華」ってやつを持っている。

新しい時代の幕開けを目の当たりにしているのかも知れないと、久しぶりに刺激を受けた。


そんななか、特番に大抜擢されたまんじゅう大帝国。


四千頭身と違って、まだ華がない。
売れなさそうだが、まぁすごい。


出てきた姿から滲む脱力感。緊張を見せない。
「何かあります?」と相方に問いかける一言目で、脱力系は決定的に。見る側に、何が始まるか、空気が伝わる。

1つ目のボケ。
ツッコまずに流す。

続けてボケると
「ってことはさぁ」
と溜める。
来るぞ来るぞと、どんなツッコミを見せるのか期待させる。

期待を裏切り、すかす。
ツッコまずに、先の展開を促す。

その後もツッコむフェイントをすかし続けるうち、すかしているのではなく、こーゆースタイルなんだと飲み込めてくる。

最後、突然にショートコントが始まり、謎の綺麗なボケ。
うまいこと言いましたよ!と表情で語り、
「やるねぇ」

で締める。


スキル、ロジックをしっかり持っている。

欲を言うと、ツッコミフェイントの演技力がもう少し有れば完璧。


彼らの漫才は、身の回りでも聞き覚えのある、ただのバカ同士の的を射ていないのに噛み合っている会話の形を
とっていて、共感の幅は広いと思う。

この漫才にあるのは、無関心というか、不干渉。
変だとは思っていても否定することなく、ただ話を合わせる会話、あまり距離が近くない先輩や上司と話す時の感覚に似ている。

現在のツッコミ社会の先にこの脱力時代は来るだろうか。きっと四千頭身とまんじゅう大帝国が占ってくれる。

MUGWUMPS TELL ME

Wiennersのメンバーチェンジを知って、
何となく久しぶりにドラムの新メンバーがやっているMUGWUMPSを聴いてみた。

AT POP SPEED

プロデュースしたSUICIDE MACHINESのダンは、和製GREEN DAYだと言っていたが、DESCENDENTSを思わせる曲がちらほら。


バカの感想だが、最早アメリカ人の音楽だ。
洋楽。

英語力が有りすぎて、何度も聴き込んで、必死で歌詞を覚えて、ライブで一緒に歌えたときの高揚はMUGWUMPS特有だ。

始まり方、終わり方が独特な曲が多く、コンパクトでいくらでも聴いていられる爽やかさがある。
変則的な展開が入ることもあるが基本的には平坦で、サビというよりはBメロと感じるところがより洋楽感がある。

中でも1番の名曲と言ってもいい「TELL ME」を久しぶりに改めて聴くと、新しい発見があった。

教科書の如く、様々な手法が用いられている。

1曲に3つも入ってればいい手法が、パンパンに詰まっている。



まずはイントロ。
みんなでジャーンと鳴らしている間にベースだけでモチーフとなるフレーズを弾くパターン。
そこに装飾でハイハットとシンバルを入れるパターン。

またこのフレーズが傑作。
もしも自分がこのフレーズを思い付いたとしたら、短い曲にまとめるのは勿体ないと、あの手この手で大作に仕上げるだろう。

そしてドラムのダダダダダダダッからみんなでイントロを演奏するパターン。

ブレイクからサビに入るパターン。

ブレイクでサビを終わるパターン。

2コーラス目はサビ前後にブレイクを入れないが、不思議なもんで、サビじゃなくてBメロのように感じる。

間髪いれずにBメロを挟んむが、ここでも1つ。
裏打ちをハイハットで刻む「ダダッダッダッダ」パターン。

そして今度はギター1人、ミュートでイントロのモチーフを刻んでからの間奏パターン。

この間奏はイントロと違って頭を喰って頭打ちパターン。

次は全員でジャーンと鳴らしてのサビパターン。

ドラムの「ジャーン、、、ジャッジャ」パターン。

ベースとドラムのロールだけになるパターン。

そしてまたサビ1回しして、曲の終わりへ向けてのCメロ
から、またイントロのモチーフでアウトロ。

どれもよく使われているパターンだが、普通1曲にここまでの数は入っていない。



基本はすばらしいモチーフとサビがあって、それをどうやって聴かせるかという曲なのだろうか。
どのパーツも、同じ形で2度登場しない。
でも意識しないとこれだけ込み入っていると気付かない違和感のな無さ、自然というか必然というか。
作曲者ではなく、モチーフとサビがここまでの展開を必要としたのかもしれない。


ぜひ改めて、1曲リピートで聴き込んでもらいたい。

Wienners TEN

まず思ったのは、隙間がないという事だった。
シンセサイザー?と呼ぶのだろうか、この楽器の事は良く知らないのでとりあえずキーボードと呼ぶが、良く聴くとキーボードやギターが色んな所にいる。音にならない音と言うか、形がない音と言うか。空間がぴったりと埋まっている感じ。と言っても音が厚いとか重いと言う訳ではない。
このクオリティ、密度で作られたCDは今まで買ったことが無かった。今までそこに気付けなかっただけか。これがメジャーのクオリティなのかと、幼稚な感想を持った。


ボーカルの声が変わった。
SCHOOL YOUTHやWienners結成当時は、喉に負荷をかけた、ディストーションがかかったような声をしていた。このアルバムでは、喉の広がった声をしている。
これが腹式呼吸と言うものかと、またも間抜けな事を思ったが、このアルバムの曲がディストーションのかかった声を必要としていないだけかも知れない。


そもそもメンバーが変わった。
キーボードメンバーの交代。
先述の形のない音もそうだが、歌唱力と言うのか、表現力に関してもクオリティが高い。「技術」だ。彼女も腹式呼吸が出来ているのだろう。

以前のキーボードは「味」。機械的な抑揚の無い形でシンプルだが印象的なメロディを演奏し、歌っていた。
新しいキーボードは、形のない音で複雑な演奏をし、歌唱力で、技術で歌っていると感じた。
どちらがどうという話ではないが、僕は「味」の方が好みだ。

ドラムメンバーの交代。
これもタイプが違うドラムになった。
SCHOOL YOUT中期のドラムは、何か曲にエッセンスを加えようと、自由さが伺えた。SCHOOL YOUTH後期からWienners前半のドラムは変則な曲に合わせて手数を入れていて、今回のドラムは曲を最優先していると言うか、曲が求める、必然的な形で演奏している。
彼の別バンド、WUGWUMPSでは、曲調にしては手数の多いドラムを叩いているので、ただ手数を必要としない曲になってきているという事か。
後、音。
1打1打がきちんと打ち込まれている音がしている。太鼓の皮だけでなく、太鼓が鳴っている。MUGWUMPSの色が伺えて面白い。
ほんとに若干、ハイハットの裏打ちが重く感じる時があるが、打ち込むタイプのドラムには少し難易度が高いかも知れない。この部分は前のドラムは非常に上手かったと思う。


1曲目、TENとアルバムのタイトルになっているので、オープニングとして作られたのであろうか。だとしたら少しくどいかと。上がっていく感じは十分良くて、後は短くスパッとまとめた方が始まりにふさわしかったと思う。

2曲目、「決して一人じゃない」「どんなときも君を見てるよ」「手を振ってさよならしなくちゃ」「出会えた喜び」「別れの悲しみ」「say goodbye to my friends」「オーシャンブルー」挙げたら切りがないくらい、歌の中でしか存在できないような恥ずかしい言葉がこれでもかと詰め込まれている。J-POPの手垢が付きまくった歌詞、Wienners特有の変則な展開もなくストレートな曲。なのに何だか、捨て曲だと放っておけない何かを持っている曲。気がついたら口ずさんでいる。
「言葉が魚みたいに空中を泳ぐ」は、break fastの「魚になった言葉が泳ぐ」を毎回思い出す。
中盤のキーボードの歌、「届かない」の「か」のエモさに毎回ひっかかってしまう。

4曲目、名前から実は結構期待したが、思っていた内容では無かった。
Making the road bluesのように、これが誰かのハードコアを聴くきっかけになるのだろうか。

8曲目、マイノリティのギターソロの始まりで、思わずニヤついてしまった。
僕たち世代ど真ん中の、パンクの典型パターンのソロ。ブレイクから、パワーコードの真ん中を抜いて上下2本だけ弾くやつ。昔友達の家で読んだGOING STEADYのスコアのメンバーの解説に、このパワーコードの真ん中を弾かないのがミソ!みたいに書いてあったのを思い出した。
彼ららしく無さ過ぎて、使い古された手法が新鮮に感じた。彼らのルーツにはもちろん青春パンクもあるだろうが、手法は似ても曲は似ない。


最後の愛鳥讃歌、キーボードが一人で歌う曲をアルバムの最後に持ってくる。コーラスもキーボード本人。
確かに男声が合わない気もするし、だからそこ男声コーラスで聴いてみたい気もする。
全体に漂う壮大さで、普通に何度も聞き流していて気が付かなかったが、これこそ変則的な曲で。
普通に4拍子で始まって、いつの間にか3拍子になっているけど、ドラムが2ビートで演奏するから、さも4拍子。間奏部分では5拍子と言うか、3拍と2拍が並ぶ箇所もある。なのに違和感無く、ストレートに聴かせる世界観。

きっと彼らはメッセージを重要視していない。
が、全体を通して、伝えたい事が有るような部分もいくつかあって。そのせいで、メッセージが無いようで有るし、有るようで無いと感じる。こういうのを空気感とか世界観とか言うのだろうか。
変則的な展開が減りストレートな形になったのもその世界観に繋がっているかも知れない。

今気が付いたが、ベースに関しては何も思うところがない。聴き込みがまだ足りない。


ぼくはきっとライブには行かない。
観たい気持ちはあるが、Wiennersの対バンには興味がないし、ワンマンに行くのはハードルが高い。ファンのせいでバンドを嫌いになることも多い。
だから僕にできる応援はCDを買うことだけだ。
過去の作品も少しずつ追って購入しようと思う。